こんにちは。苦手な英語を得点源に!豊中英語塾の飛田です。当塾の個々に合った指導と無駄を省いた自習管理で生徒たちは難関大学に合格してきました。今回は池田高校の生徒の合格体験記をご紹介します。

名前は個人情報保護の為公表しておりません。ご理解ください。

プロフィール

▼池田高校

▼バトミントン部

合格した大学

同志社大学 法学・経済・社学

立命館大学 産業社会・政策

関西学院大学 法学 

受験勉強を初めたのはいつですか?
またなぜ進学先の大学を選びましたか

学校の部活が終わった5 月末から始めました。
行きたい大学はありませんでしたが、同志社大学の学校説明会に参加し、学校の雰囲気が気に入り第一志望としました。

受験勉強に直面した最大の困難は何でしたか。またその困難をどのように乗り越えましたか。

勉強面というよりかは受験1 ヶ月前頃から起こる「このままでは全部うからないんじゃないか」といった不安などのメンタル的な問題に苦戦しました。自分なりの解決方法としては毎日勉強を絶えず続けることで不安を打ち消しました。

受験を終えた今だから考える科目別優先度を教えてください。(英語:長文.文法.構文・国語:現代文.古典文法.古典単語:選択科目

英語が最重要、その次に社会科目、最後に国語だと思います

なぜ、その優先順位にしましたか?

同志社大学を志望する場合英語が200点、社会150点、国語150点{現代文75点、古典75点}なので英語と社会を詰める事を最優先した方が良いと思います。

後輩やこれから受験する人たちに対する
アドバイスはありますか?

周りの人と馴れ合わず勉強し続けたら受かると思います。

保護者様から

豊中英語塾には高校3 年の4 月からお世話になりました。

高2の3 学期に私立大学に進学することを決め、第一志望を同志社大学にしました。英語は元々得意科目でしたので、英語力を伸ばし、社会と国語も教えていただける塾を探していたところ、豊中英語塾の話を聞き説明会に参加させていただきました。

先生の話を伺い、入塾を決めました。入塾してからは息子と先生に全てを任せて、親の私は勉強には口出ししませんでした。

息子は部活を引退してからは毎日欠かさず塾に勉強に通っていました。自宅では勉強している姿を見ていないので豊中英語塾の自習室でのみ勉強していました。

豊中英語塾の自習室が年末年始も含めて毎日利用できた事は本当にありがたかったようです。先生には志望大学の対策をきちんとしていただいたことも本当に感謝しています。

最後の出願時にも相談にのっていただきありがとうございました。おかげさまで、共通テスト利用入試も含めて出願した全ての大学、学部に合格する事できました。

息子の努力が実を結び、豊中英語塾とサポートしていただいた先生に改めましてお礼申し上げます。1 年間お世話になりありがとうございました。

H君が出願したすべての大学に合格できたのは、私を信じて受験戦略を守ってくれたからです。とても素直で教えていて楽しい生徒でした。ありがとうございます。

原文

最後に

最後までご覧いただきありがとうございます。

さて、ここからは「成功の再現性」👉「難関大合格の再現性」についてお話をします。

劇的な合格に目がいきがちですが、他の生徒に普及できていない講師は多い。

なぜもう一度同じような状況の生徒を合格させれないのか。

それは、合格までに何が必要で、何が不要かを言語化できていないから。

大切なのは生徒が合格点数を取れるまでの方程式。

生徒が何が出来ていないかを分析。点数を取れた時は前の週と何が変化した?勉強時間は?暗記の仕方は?

T君の場合は、無駄なことをしない」です。

入塾が高校3年生で志望大学が同志社大学。すべての教科に時間を費やすことが出来ないので配点が低い科目の勉強時間は削りました。

Q
どうやって一年で同志社大学に合格できますか?
A

彼の場合2ヶ月で単語を1600語、熟語を400語覚えてもらいました。加えて英語長文を毎週1題と構文の参考書も勉強してもらいました。また、毎週の個別授業で英語長文の読み方や解き方を教えたり、宿題を決めて最短ルートから外れないように整えていきました。

Q
単語を2ヶ月で1600語も覚えれますか?
A

当塾で過去3人1年間の勉強で同志社大学に合格した生徒がいます。全員夏までには単語、熟語を終わらせています。3人に共通することは受験が終わるまで毎日学校帰りに塾に来ていました。本人のやる気次第です。必ず覚えることができます。

Q
出願の学部選びはどうしたのか?
A

英語、社会が高得点を取れたら関関同立は合格できます。彼の場合は英語、社会のどちらも高得点が取れていたので一般受験は関学を滑り止めにして、同志社大学を挑戦枠にしました。また共通テストは立命館大学に出願して絶対に滑り落ちないようにしました。他の子たちと同じで公募推薦は受験させていません。